認知について3

再び推しBの話に戻る。
推しBに認知されて何か良いことがあったかと言われれば、いわゆるファンサで美味しい思いが出来たこと位だった。推しCと違い、推しBはオタクに平等ではなかった。いわゆる認知優遇、ゴールド会員はブロンズ会員とは違うのよっ!てな感じだった。通路を挟んで反対側にも同じ推しBのオタクがいても、推しBがどちらを向くかは運や気分ではない。確実にこっちに愛想を振りまく。同じお金を使って(実際はゴールド会員になるのに、いかにゆるヲタだろうとそこそこのお金と時間を費やしてるわけだけど)似たような席に入ってもお徳感は段違いである。反対側が幼児だろうが美人だろうが関係ない。隣や前の席に推しBオタクがいたって関係ない。だって推しBはそれよりゴールド会員優先だから。ある意味徹底してプロであった。
ファンサをもらうこと自体は愉しかったが、私は他より優遇されているとかそういったことを嬉しく思うことはなく、どちらかといえば不快に感じるほうだったので、いつも少し嫌な気がした。そうした振る舞いは推しBの品格を下げる気がした。必死なんだなと思って許容していたが、10年前の自分なら確実に推しBを嫌いになっていたと思う。
推しBが推しAのような対応になってくれないかなと思ったりした時期もあったが、今はあきらめた。それは考え方や方向性の差ではなく、能力と人格の差だと考えるようになったからである。
認知されなければ(もしくは認知したことを私に推しBが伝えてこなかったならば)、今のような複雑な気持ちを推しBに対して抱くことはなかったと思う。いま推しBへの私の「好き」には微かな嫌悪が混ざっている。一方で、優遇されなくなった時(その時期はいずれ必ず来る。会場の規模的に、方向性的に)、「やっぱり私はただの捨て駒だったんだな」と感じてファンをやめるような気がしている。

本来、私はアイドルを趣味として消費しているだけなのであり、彼らからすれば、オタクはいつでもone of them なもので、それ以外であってはならないものだ。認知は(正しくは認知営業とは)、それを狂わせるトランス脂肪酸のようなものだと今は思っている。

注意)ぼかしたかったので、実際のテリトリーでのローカル用語はあえて避け、隣村的なところから用語をお借りしています。読めばどこの世界なのかすぐ分かってしまったかと思いますが、ツッコミはなしでお願いします。